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2/28/04 - これだから、アメリカは面白い!ロージー・オダネル(Rosie O'Donnell)というわりと売れている俳優・コメディアン・トークショーホストがブッシュ大統領に反旗を翻し、年来のレズビアンの恋人とサンフランシスコで結婚、郡役所で結婚証明書を受け取った。サンフランシスコ市長ニューサム氏の指示で、2月12日以来3300組以上の同性のカップルに結婚証明書が発行された。それに対抗して敬虔なキリスト教徒である(らしい)ブッシュ大統領が、同性の結婚を禁止する連邦憲法修正の動きを支持する意向を表明。今回のロージーの行動は、大統領に対する確固とした不服従の意思表明だ。長いものには巻かれない、自由を放棄するくらいなら死を選ぶ、そういったアメリカの反抗精神を目撃できて、溜飲を下げた。 だいたいキリスト教徒は何でそんなに同性愛を嫌うんだ?「十字軍の運動は、ヨーロッパ人にとって異質なものへの排除の心理と深くかかわっていた。異教徒の習俗と慣行への嫌悪である。異質なものとはユダヤ人の金貸しと割礼であり、イスラム人の道徳の中で寛容さを見せていた性的習俗、つまり同性愛である。1179年の第三回ラテラノ公会議が、同性愛行為を統制する最初の全教会的会議となり、その会議でユダヤ人への制裁処置が許されたのは偶然ではない」と、上山安敏氏は「魔女とキリスト教」(p.150)の中で要約している。もともと、ユダヤ教や中近東の多神教との違いを際立たせることで自分を確立してきたキリスト教は、自分たちの同質性の強調と異質なものの排除の傾向が特に強いのだろう。それが十字軍の運動とともに、ユダヤ人や同性愛に対する嫌悪を取り入れ、育ててきたということか。 上山氏の見解は John Boswell という学者のキリスト教と同性愛の歴史についての著作から引いているものだが、同性愛への嫌悪はもっと発生時期が早く、ユダヤ教に根ざしているようだ。キリスト教がユダヤ教から生まれる前の古代、同性愛はごくありふれていた。同性愛と異性愛とをはっきり区別する意識はまだ「発見」されていなかったようだ。そういった慣行にユダヤ教が断固として挑戦し、同性愛を禁止した。ユダヤ教が性愛を男女の結婚という瓶の中に押し込めた、ともいえる。それも快楽としてではなく、生殖のために限定した。このことと、結婚の神聖化・家族の至上性という観念は密接に結びついている。キリスト教をはじめた人達、特にパウロ、はこの辺の倫理観をそのまま受け継いだのだろう。 ユダヤ教が同性愛を禁じ、異性愛を生殖のみに限定した理由を次のように読む歴史もある。性愛に関して、ユダヤ教の聖典の二つの重要な課題は(1)家族の中で男の女に対する名誉と所有権を守ること、そして(2)tebel(improper mising、宇宙の秩序を混沌へ導くような不適切な混合)を避けること、である。同性愛は tebel の中には入っていないものの、それと同等のものと考えられている。混沌から秩序を生み出したユダヤ教にとっては、tebel は許されない行為である。比較的少数民族であるユダヤ人が、民族の生存を必死で模索していたということも考慮に入れる必要があるだろう。子孫を増やすための性愛が何よりも重要だったのだ。 こういった歴史を踏まえずに闇雲にキリスト教の福音書のテキストを崇める人達には、同性の結婚というのは「聖なる結婚」への脅威と映るのだろう。ブッシュう大統領がその一派に属することは疑いようもない。僕のような無神論者から見ると、「何でそんなにヒステリックに反応するの、君たち異性結婚の半分以上が離婚して家族をどんどん崩壊させてるところに、同性愛の人たちが新たに家族を作ろうというんだから、社会にとってはいいことじゃない」と思うんだけどね。 |
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2/25/04 - マサチューセッツ州やカリフォルニア州で同性の結婚(same sex, or gay marriage)が認められつつある状況で、ブッシュ大統領が同性の結婚を禁止するための憲法改正(修正)を支持することを表明した。議会側は今のところ様子を見ているが、、今年中に何か起こるかもしれない。大多数のアメリカ国民は(2対1のマージン)同性の結婚が認められることには反対しているが、かといって、それを憲法で禁止するというのはやりすぎだという意見も多く、政治的に大きなリスクだ。宗教的信念に由来するブッシュ氏の同性結婚に対する反感、これに関しては「キリスト教の不思議」でいずれ取り上げたいと思う。今日は、アメリカの憲法改正がどうやって行われるのかをざっとまとめてみたい。 アメリカ合衆国憲法第五条に記されているが、合衆国憲法を改正する方法は二つある。方法(1)連邦議会の上・下両院が三分の二以上の多数をもって憲法改正条項を提案できる。通常の法律と違って、この改正案は大統領の手元には行かず、各州知事に送られる。州知事はこれを州議会に提出し、全体の四分の三の州がこれを批准した時点で(50州のうち38州)、憲法改正は成立する。方法(2)三分の二以上の州の州議会が要請して、憲法制定会議(Constitutional Convention)を招集する。この憲法制定会議が憲法改正案を提案し、修正案は各州に送られ(1)と同様全体の四分の三の州が批准することで成立する。合衆国憲法は今まで27回改正されているが、すべて方法(1)で行われている。ちなみに、合衆国憲法の改正(または修正)条項は、既存の憲法の終わりに次々に付け加えられていく。つまり、元の条項は、たとえそれが改正条項によって無効にされても、そのまま憲法に残される。 このPDF文書(日本語)にアメリカ、日本を含む10ヶ国の憲法改正方法が比較分析されている。 ところで、もうひとつ話題を呼んでる憲法改正案がある。現憲法では、アメリカ大統領はアメリカで生まれた市民しか立候補する資格がないのだが、これを改正しようというのだ。現在上院で提案されてるものは「アメリカ市民になって20年以上経った場合、大統領に立候補できる」というもの。現カリフォルニア州知事・アーノルドシュワツネガー氏は市民権を獲得してから21年になる。ふむ、これは僕も早いところ市民権をとらねば。 |
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2/23/04 - 今日の抜書き
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1/4/04 - 昨年のクリスマスの夜に(ほんの2週間前のことだが)ヒストリー・チャンネルで「Banned from the Bible」という2時間のドキュメンタリーを観た。4世紀、コンスタンティヌス1世が召集したニケーア宗教会議の頃に本格化したキリスト教の聖典の編纂。そのときに異端(heresy)として排除されたいくつかの福音書、伝説、詩などを紹介した見ごたえのあるものだった。異端とされたテキストはキリスト教の正統にとって都合の悪いもの、矛盾するものだったのだろう。中でも特に興味深かったのは、マリア・マグダレン(あるいはマグダラのマリア)の福音書(gospel)についてだ。これによると、マリアは使徒(apostle)の一人、いや指導的な使徒の一人で、聖典に記載されてるような端役の人物ではなかったという。キリスト教の不思議(1)でとりあげた「マリアはイエスの伴侶」という発想に近い。 このサイトによると、「マリアの福音書」は現在までに3冊の写本が発見されている、3世紀頃のものと思われるギリシア語の2冊と5世紀頃のものと見られるコプト語の1冊。コプト語のものは1896年にカイロで見つかった。1945年に同じエジプトで発見されたナグ・ハマディ文書には「マリアの福音書」は含まれていなかった。面白いのは、3世紀の写本によれば、マリア・マグダレンの指導者としての地位は使徒たちに受け入れられていたが、彼女の教えについて男性使徒達との間に食い違いがあったことが覗える。それが少し下って5世紀の写本になると、彼女の地位自体が男性使徒から挑戦を受けているように書かれてある。つまり、正統キリスト教の確立期200年ほどの間に、マリア・マグダレンを継承者と考えるグノーシス的(Gnostic)な信仰・思想が異端として徐々に排除されてしまった、という仮説が成り立つ。マリア・マグダレンは男ばかりの12人の使徒とともに重要な使徒であり、イエスの後継者、あるいは伴侶だったかもしれない女性だった。その「事実」が、男性中心のカトリック教会の確立とともに、歴史から消されてしまったようだ。マリア・マグダレンと男性の使徒ペテロやアンデレとのいざこざについてはナグ・ハマディで見つかったトマスの福音書、ピスティス・ソフィア(Pistis Sophia、信仰と知恵)、エジプト人の福音書にも記載されている。これらのテキストも聖書には入れられなかった外典である。ここに「マリアの福音書」の概略がまとめられている。 マリア・マグダレンこそがイエスの継承者だと考える、そういう信仰をグノーシス的と上に書いた。グノーシス(Gnosis)については回を改めて更に追求することになるが、正統キリスト教が排除・抑圧した異端とは主としてグノーシス的な信仰であったようだ。グノーシスとは何か。ちょっと脱線するが、無神論者(atheist)という言葉に対して、西欧ではもう少し柔らかい宗教懐疑主義者というレッテルがある。辞書では不可知論者と訳されている agnostic と言う言葉だ。アグノスティクは神の存在を肯定も否定もしない、どちらも証明できない、という立場だ。この言葉は「a」という否定の接頭語と「gnostic」が一緒になったもので、「gnostic」ではないという意味で、「gnostic」はギリシア語の「知る」という言葉に由来する。アグノスティク、知ることの出来ない、という意味になる。 話をグノーシス主義に戻すと、Gnosisとはこのギリシア語の語源から「知る事ができると考える者の信仰」ということになる。「知る」といっても分析的な知識の知るではなく、「僕はあの人を知ってる」というときに使われる、直感的・直接的な「知る」である。「知る」対象はもちろん神だ。グノーシス主義者は、神を自分の五感で知ってるあるいは知ることが出来る、だから神を知るのに仲介は要らないと考える。つまり教会や牧師などの権威は必要ないのだ。これに加えて、マリア・マグダレンという女性をイエスの後継ぎとするなど、男性中心のユダヤ教に由来する正統キリスト教には堪えられない。なるほど、キリスト教会の確立にグノーシスが邪魔だった理由がよくわかる。 |
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1/3/04 - アメリカ以外の世界ではフットボールと言えばサッカーのことだけど、アメリカではアメリカン・フットボール、つまりアメフトのこと。日本の年末・年始は紅白かボブサップかサッカーのようだが、アメリカのほうは朝から晩まで大学のフットボールばかりだ。そして1月はプロフットボールのプレーオフ、スーパーボールへと続く。今日はアメフト初心者のための入門篇。このサイトで詳しい日本語の解説があるので、これだけ押さえておけば観戦した時になんとなくわかる、という点だけをまとめる。
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12/30/03 - Dan BrownのThe Da Vinci Codeという推理小説を読んだ。これは面白い。ルーブル美術館で老齢の館長が殺害される。彼が死ぬ直前に残した暗号の謎を、事件に巻き込まれたアメリカ人図像学者と館長の孫娘が解いていく。何が面白いかといえば、この暗号の秘密とは歴史上のある重要な事柄に関わっていて、ちょっと調べたのだが、西欧では結構話題を呼んでいる。この小説を読もうと思う人は、僕の話のこの先は読まない方がいい。 ある程度史実に基づいたこの秘密というのをここに記してしまう。殺された館長は Priory of Sion という宗教的秘密結社の幹部の一人で、殺人を企み実行した者の目的はこのグループが隠し持っている聖なる杯(Holy Grail)を奪うことだった。イエス・キリストが最後の晩餐で使い、十字架で死んだイエスの血を受けたと言い伝えられる、聖杯。西欧では、この聖杯を探し出すというテーマが小説や映画によく出てくる。例えばインディアナ・ジョーンズにもあった。「ダビンチの暗号」では、この聖杯の正体が明かされる。「聖杯」は中世のテキストでは Sangraal または Sang real と書かれるのだが、これを聖杯と訳したのは誤訳で本当の意味は「聖なる血」である。フランス語では確かにそういう意味になる。結論を言ってしまえば、聖なる血とはイエス・キリストとマリア・マグダレンの間にできた子供、その子孫、ついにはメロビン朝の王家となったイエスの血筋なのだ。イエスは結婚して子供がいたというのだ。 この秘密結社はイエスとマリアの血筋の秘密を守り続けているのだった。このグループのメンバーにはレオナルド・ダ・ビンチ、ニュ-トン、ビクトル・ユーゴーなど著名人がいるという。ダ・ビンチは彼の名作「最後の晩餐」の中でその秘密をこっそりと明かしている。このサイトで「最後の晩餐」の拡大写真を見ることができる。あるいはここ。このサイトではCGで復元した絵の拡大をが見ることができる。イエスは中央に座っている。画に向かってその左にいる人物をよく見よう。その美しい顔は女性のようではないか。イエスとこの人物はお互いの顔をそむけ身体を遠ざけ、よく見るとこの二人でMの人文字を形作っている。Mはマリア・マグダレンのMを表してる。この人物は一般にはヨハネということになっている。「ダビンチの暗号」によれば、イエスの隣にいるこの人物がマリア・マグダレンだというのだ。最後の晩餐にいたのは12人の使徒(全て男性)ではなかったのか? という訳で、ルーブル美術館・館長の殺人がキリスト教のとんでもない秘密につながるという傑作推理小説。この小説の種本でもあるかもしれない Holy Grail, Holy Blood という本が1982年に出版されているが、それがトンデモ本なのかキリスト教会が隠そうとしてきた真実明らかにしたものなのか、評価は分かれているようだ。しかししかし、このマリア・マグダレンの話を探っていくと、まだまだいろいろとあった。次回はこのあたりをもう少し追求したい。 |
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12/27/03 - 松岡正剛氏の千夜千冊で読んだのだが、1960年代から70年代のアメリカで起こった対抗文化・アクエリアン革命(水瓶座の世代による革命)をロマン主義とする見方があるようだ。松岡氏の要約によると、セオドア・ローザックは「意識の進化と神秘主義」の中で、アクエリアン革命の共通項として次の八項目を挙げている。 @潜在力を容認したこと、 A方便(ウパーヤ)を求めたこと、 B超個人的主観を拡張したこと、 C普遍性を持ち出すことの可能性を信じたこと、 D全体性を語ることが好きだったこと、 E有機体説を復権させようとしたこと、 Fありふれたものに啓示を感じてもいいと思ったこと、 G生活には新たな「冨」があると思ったこと。 松岡氏は、これはロマン主義ではなくハイパー復古主義とかカジュアルな宇宙主義程度と考える。「なぜならば、ここにはギョとするものも交じっていて、どこか犯罪的なエロティシズムと隣あっている。ロマン主義にはそういうものがなかった。」もちろんここでは18世紀から19世紀にかけての西欧を席巻したロマン主義と比較してるわけだ。 さてその18,9世紀のロマン主義とはどういう風に定義できるのだろう。素人の山歩きでゆっくりと考えてみたい。こういう要素があればロマン主義で、こういう考えを含まなければロマン主義ではない、という定規がどの程度はっきりとあるものなのか。まずやはり、17,8世紀の啓蒙思想の理性偏重と普遍性への傾倒、これに対する批判という側面がなくてはならない。ロマン的傾向はもちろん啓蒙思想の成果を踏まえての共通項もあるわけだが、それに対する反抗あるいは異端児としての部分は必須条件と言える。リチャード・ターナスは啓蒙思想との違いを次のように手際よく整理してる。(Richard Tarnas, The Passion of the Western Mind, 1991, p.367 より、拙訳)
アクエリアン革命の八項目のうち@DEFははっきりロマン主義的傾向と言える。AとGはどういう意味かわからないのでなんともいえない。Cはロマン主義が普遍性をばっさりと否定するわけではなく、ある程度の普遍性を下地にもってると思われるので、これもあるといえるだろう。Bについてはもう少し調べてみよう。こうしてみると、全体としては水瓶座の革命はロマン主義的といっていいのではないだろうか。 |
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12/21/03 - ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」を「ロマン主義の不思議」の冒頭に置いたのは、彼女の描いた初心な想像の世界と乾いた現実世界の乖離みたいなものがロマン主義の核心にあるんじゃないかな、と思ったから。もち、僕は哲学の専門家じゃないし、ロマン主義についても漠然としか理解してないけどね。女性の心情というのは全くわからないけど、僕を含めて男性はこういう歌詞を聴くと心打たれる事が多いんじゃないだろうか。 この詩(ここからは「詞」でなく「詩」とする)のどこに惹かれるのだろう。とその前に、解釈の問題がある。この詩は雲、恋愛、人生と三節から成るのだが(恋愛の節は掲載してない)、それぞれの節の最後に繰り返される、「***'s illusion I recall, I really don't know ***」という部分(*** が雲、恋愛、人生を指す)。僕はここを、「でも、僕がいつも思い出すのは *** の幻想的な部分、つまり僕には今も *** がちっともわかってない」という意味に取った。別の解釈は、「いろんな角度からみたこの *** というもの、全部結局幻想なんだ、だから僕には *** がちっともわからない」ととる。こういう風に解釈すると、上に書いた幻想と現実の乖離ではなく、もっと相対主義的な、みんな夢の中、ということになる。つまり、過去の初心な見方と現在の現実的な見方の両方を等価に置くことで、「憧れ」という要素が抜け落ちてしまう。僕の考えるロマン主義には、憧れはなくてはならない。牽強付会かもしれないが、ここは僕の解釈で行きたい。 ところで、「人生」の節で友達から、お前変わったな、と言われて孤立感を感じるところは、長淵剛の「友達がいなくなっちゃった」を思い出させる。今の彼は知らないが、13年前に紅白に出た頃は明らかにロマン主義に浸っていたと思う。現地入りしたNHKのスタッフをタコばっかりだと罵倒したのは自分を孤立させていくことに喜びを感じるロマン主義の一面だろう。 |
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12/19/03 -「LoveActually」という映画のサウンドトラックを買ったら、ジョニ・ミッチェルの「Both Sides Now」が入ってた。30数年前に、映画「青春の光と影」(原題・Changes)のサントラでヒットしたあの名曲。確かジュディ・コリンズの歌でヒットしたと記憶してる。ジョニ・ミッチェルの作詞作曲で、今回の映画に入ってるのは2000年に録音したもののよう。30年前に聴いた時には、歌詞がなんとなく青春の切なさを感じさせるいい曲だな、と感じたんだけど、歌詞はほとんどわかってなかった。今回ジョニ・ミッチェルのスローなジャズ風の歌を聴いて、歌詞がやっと見えてきた。あまりに素晴らしい(と勝手に思い込んでるわけですが)ので、一部載せます。ついでに、児玉聡さんという方の訳詞があったので、それを参考にして手を加えたものを載せときます。 |
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Rows and flows of angel hair And ice cream castles in the air And feather canyons everywhere I've looked at clouds that way But now they only block the sun They rain and snow on everyone So many things I would have done But clouds got in my way I've looked at clouds from both sides now From up and down and still somehow It's cloud's illusions I recall I really don't know clouds at all Tears and fears and feeling proud To day "I love you" right out loud Dreams and schemes and circus crowds I've looked at life that way Oh but now old friends they're acting strange They shake their heads, they say I've changed Well something's lost, but something's gained In living every day I've looked at life from both sides now From win and lose and still somehow It's life's illusions I recall I really don't know life at all |
列になって流れてく天使の髪 天空に浮かぶアイスクリームの城 鳥の羽の峡谷 雲をそんな風に眺めてきた でも今は、雲のせいで陽射しは遮られるし 雨や雪でみんなを困らせるとわかった あーあ、もっといろんな事をしたかったのに 雲に邪魔されたしね 時が経ち、雲をいろんな角度から見てしまった いいところ悪いところ、いろいろとね それでも、いつも思い出すのは雲が僕にくれた甘い幻の夢 そう、いまだに僕は雲のことが少しもわかってないんだ 涙と恐れそして自尊心 大声で「愛してるよ」と叫ぶこと 夢と未来予想図そしてサーカスの群集 人生をそんな風に眺めてきた ああ、でも昔の友人たちは変わってしまった みんなで僕を指差し、僕の方が変わったんだと言う みんな何かをなくし、何かを手に入れた 日常を生きていく中でね 時が経ち、人生をいろんな角度から見てしまった 勝ったり負けたり、いろいろとね それでも、いつも思い出すのは人生が僕にくれた甘い幻の夢 そう、いまだに僕は人生のことが少しもわかってないんだ |
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12/19/03 - イチローの契約更新が決まったようだ。4年契約、4400万ドル(約47億円)。この額、どうなんでしょうね。単純に平均すると年1100万ドル。日本人としては年1000万ドルを超えたのは初めてだそうだから、それなりにはすごいんだけど。走・攻・守と三拍子トップレベルを維持する選手に対する報酬としては、この程度?と思っちゃうね。 このサイトでちょっと他の選手の年俸を調べてみるといい。ニューヨーク・ヤンキーズの外野手バーニー・ウイリアムズが年俸1200万ドル、内野手デレク・ジータが年俸1560万ドル。イチローもこのくらいはもらっていいと思う。テキサス・レンジャーズにはもっとすごいのがいる。アレックス・ロドリゲズという遊撃手。昨年の年俸、2200万ドルというから仰天。彼は、3年前に今イチローの所属するシアトル・マリナーズを去り、レンジャーズと前代未聞の高額契約を結んだ。10年契約、2億5200万ドル、年平均2500万ドル!ロドリゲズはイチロー約2.5倍の年俸を後7年間もらい続ける、というのだから桁外れだ。 もっとも、年俸は高ければ高いほどよい、というものでもない。テキサス・レンジャーズというチーム、天才・ロドリゲズを手に入れたのはいいけれど、それ以来毎年最下位から抜け出せない。というのも、一人の選手にそれだけの給料を払ったら、他の選手にまわす金が無いのだ。いくらすごい選手でも、野球は一人では勝てない。同じ遊撃手、ヤンキーズのジータは、年俸こそロドリゲズの半分ちょっとだけど、チャンピオンの指輪をもうすでに4個も獲得したのだ。ロドリゲズも勝ちたいのだろう、このオフシーズン、優勝争いに毎年のように顔を出す、ボストン・レッドソックスへのトレードを希望した。どん底から抜け出して、ボストンで一花咲かせたかった。ところがところが、もう一歩でトレードが決まるというときに、彼の高給が災いしてご破算になりそうな気配である。「ああ、あの時欲をかかずにシアトルにとどまればよかった。悪魔に売り渡してしまった魂はもう戻らない。」といったかどうかは定かではない。 |
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12/16/03 - 長年住んでるが、アメリカという国はわからない。正義の使者なのか、わがまま勝手な悪餓鬼なのか、心の暖かい善意の人々なのか、偽善者の集まりなのか。 今年(2003年)の6月27日、サウスカロライナ州からの連邦上院議員、ストロム・サーマンドが100歳で大往生した。中曽根氏や宮沢氏など日本の議員の比ではない、ストロム・サーマンドはなんと100歳になっても現役の議員をしていたと言うのだから、驚きだ。もっとも、ちゃんと仕事をしていたのかどうか怪しい。このサイトによれば、議決の時にどちらに票を入れたらいいのかをスタッフから指示されることが幾たびかあったそうな。ほぼ痴呆状態の老人でも、選挙民の選んだ人なら最後まで議員生活を終えさせる、という事か。確かにアメリカには、議員としての権利なのだからそれにしがみつこうと放棄しようと、それはその個人の決めること、と言う不干渉主義的なところはある。 しかし、ストロム・サーマンドの場合は、もっと悪いことがある。彼は南部の人種分離主義者(segregationist)の声を代弁するものとして知られてきた。この40年間アメリカがしゃかりきになって克服しようとしてきた黒人差別の心情に極めて近い、としか僕ら日本人には思えない人種分離主義。例えば、彼がまだサウスカロライナの知事だった1948年の演説にはこういうのがある。 こういう思想をもった人が数十年にわったて上院議員の席に座ってきたのだ。これはやはり、3億近いアメリカ人の相当数の心の底に、非白人に対する偏見がまだまだ残っているということの現われだろう。皮肉なことに、あるいは「やっぱりね」というべきか、そのサーマンド氏が黒人のメイドに生ませた子供がいたことが明るみに出た。12月17日の「60 Minutes II」というテレビ番組にその子供、78歳のウイリアムズさんが出演、インタビューに応じる。サーマンドが22歳、相手の女性は16歳の時の子供と言うから、この事実が議員在籍中に発覚していれば、間違いなく議員を辞めることになっていただろう。 16歳のメイドに手を出したのは別に若気の至りではなかった。高齢になってからも、彼は"ladies' man" としても知られていた。女たらし、と訳していいんではないだろうか。99歳の誕生日、仲間の議員からの祝福に答え、ストロム・サーマンドは席からゆっくりと立ち上がると、次のように言った。 三つ子の魂百までも、とは彼にふさわしい。 |